Column
雨を楽しむ/見る、聴く、遊ぶ

- ■雨を描いたアートの王道から、脇道にそれてみる
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雨を描写した絵や音楽はたくさんあります。歌川広重の浮世絵「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」や、それを模写したゴッホの「日本趣味:雨の大橋」、ターナーの「雨・蒸気・速度」から新海誠のアニメーション『言の葉の庭』まで、どれだけたくさんの雨の絵が描かれ、多くの人に親しまれてきたことでしょう。
クラシック音楽にも雨を描写した作品は多く、ヴィヴァルディの『四季』から「夏」の嵐、ベートーヴェンの交響曲『田園』第4楽章の「雷雨、嵐」、ドビュッシーのピアノ曲集『版画』より「雨の庭」、武満徹のピアノ曲「雨の樹 素描」など、作曲家自身がタイトルを付け、音楽で雨の情景や雨音を描写したり印象づけたりしています。
ショパンのピアノ曲「雨だれ」は?これもよく知られたエピソードですが、このタイトルはショパン自身ではなく、同じ音が絶え間なく続く伴奏が雨だれの音に聴こえるということから、後世の名ピアニストが名付けたと言われています。注目したいのは、雨だれのように聴こえる、雨を連想させるというところです。
ショパンが雨を意識して書いたとしたら、この曲が雨音を連想させるのもうなずけますが、作者が意図していないことを、演奏する人や聴く人が連想しても不思議ではありません。これこそが音楽のおもしろいところです。音楽は自由なので、どんなふうに聴こえても、何を想像しても間違いということはありません。美術、特に抽象絵画についても、同じことが言えると思います。 - ■自由に「雨の情景」を感じてみる
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最近、筆者は「雨」のように聴こえる音楽にいくつか出会いました。「雨」を題材にしているわけでもなく、まったく違うストーリーを持つ音楽や演目なのですが・・・
一つは、歌舞伎役者の坂東玉三郎と、和太鼓を中心とした演奏集団<鼓童>が共演した舞台『幽玄』(2017年5月~9月)から、第一幕「羽衣」での十数人による締太鼓の演奏。本来、能楽囃子の小鼓、大鼓、太鼓で演奏するところを、玉三郎のアイデアで、鼓童の十数人が締太鼓だけで表現。究極まで削げ落とした能楽特有の世界観を新しい形で未来に向けて発信したい、という信念に貫かれた演奏に強く心打たれました。一方で、その締太鼓集団のストイックな演奏が、まるで大粒の雨がポツポツと降り出してはだんだん激しくなっていく、ゲリラ豪雨の降り始めのようにも聴こえたのです。もう一つは、小曽根真とのデュオで、これをもって引退というゲイリー・バートンのファイナル・ツアー(2017年5月29日~6月10日)でのヴィブラフォンの音色。バートンの4本のマレットから生み出される音の一つ一つが色とりどりの雨粒のように美しく、それらが小曽根のピアノが作る花や葉や大地の上ではじけたり、きらきらと輝きながら降り注ぐようすが思い浮かびました。
- ■反復が雨をイメージさせる
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先にあげた広重の「大はしあたけの夕立」は、雨そのものを黒い直線で描写した画期的な作品として知られています。よく見ると、無数の濃い黒の直線と淡い黒の直線の傾きが少しずれて描かれているのがわかります。その効果で、降り続く激しい雨のようすが立体的・躍動的に見えてくるのでしょう。
少しずつずれて反復する直線。それはシンプルな音素材が反復する<ミニマル・ミュージック>のようでもあり、複数の異なるリズムが同時進行する<ポリリズム>のようでもあり、まさに現代アメリカの作曲家スティーヴ・ライヒらの音楽を思わせます。ライヒの初期作品「イッツ・ゴナ・レイン」(1965年)は、「今に雨が降る」という黒人牧師の演説の言葉をテープ再生のバリエーションで約18分間ひたすらくり返すものです。ここでの「雨」は不幸や悲しみの比喩ですが、その言葉の反復が次第に加速し、複雑に激しく重なり合っては、やがて静かに消えていくというプロセスは、まさに夕立の雨そのもののようにも感じられます。
ドビュッシーの「雨の庭」やショパンのいわゆる「雨だれ」が、同じ音や音型の反復で雨をイメージさせる音楽だからといって、EDM(エレクトリック・ダンス・ミュージック)の重低音の反復やハードコア・パンクのワンコードの執拗な反復が、必ずしも雨をイメージさせるとは限りません。原因は音や響きの質感の違いだけでしょうか?聴き比べてみるのも、おもしろいかもしれませんね。 - ■雨をどう表現する?
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夕立のような短時間の激しい雨、しとしとと降り続く柔らかく弱い雨・・・雨も様々です。日本語には土砂降り、霧雨、梅雨、時雨(しぐれ)、村雨(むらさめ)・・・といった雨を表す言葉がたくさんあり、遠い昔から人々が季節や状態によって雨を繊細に感じ分けていたことがわかります。雨の多いイギリスにも、何十種類もの雨に関する英語表現があるとのこと。言葉で言い分けられる様々な雨の情景を、アートはどのように表現しているでしょう?たとえば、岡本かの子の小説にある「産毛のように柔らかく短く截(き)れて降る春雨」を、音楽や絵画はどのように表現するでしょう?
傘をさす人、濡れて光る路面や水たまり、水滴が光る葉や花や窓の描写、水玉模様、モチーフの反復、テンポやリズムの変化、・・・その他どんな「雨」の表現があり、どんな作品から「雨」を感じるでしょう?
雨に艶めく紫陽花を愛でながら、コンサートや美術館に出かけてみるのもいいですね。思わぬ雨音に出会ってみたり、様々な感性と視線で描かれた雨の絵を見つめてみたり。なんだか楽しくなってきませんか?
大橋悦子(おおはし えつこ)
東京生まれ。翻訳家・ライター。東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。同大学院音楽研究科修了。音楽を中心に、ジャンルを超えた様々な芸術文化に関する翻訳・執筆多数。