田中美佐子(タナカミサコ) /女優 のチケット情報

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田中 美佐子(たなか みさこ、1959年11月11日 - )は、日本の女優、タレント。本名、深沢 美佐子(ふかさわ みさこ)旧姓、田中。

島根県知夫郡(現・隠岐郡)西ノ島町出身。佐藤企画所属。

来歴・人物
島根県海士郡海士村で兄2人と姉の4人兄姉の次女として誕生。県職員である父親の転勤に伴い、西ノ島町 - 西郷町 - 松江市と転居を重ねる。松徳女学院高等学校(現:松徳学院高等学校)卒業後、上京。短大在学中に、劇団ひまわりに入団。東洋女子短期大学英語英文科卒業後の1981年、TBSの緑山私塾からドラマ『想い出づくり』でデビュー。当時の芸名は「田中美佐」であった。

1982年、『ダイアモンドは傷つかない』で映画初出演(主演)し、第6回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。またこの時期にはキングレコードから歌手としてもデビューしている。演技力でも高評価を得たが、ヌードが嫌で芸能活動を休止。移籍事務所を1人で探した事もある。その時相談に乗ったのが当時浅井企画で萩本欽一のチーフマネージャーだった佐藤宏榮。佐藤の力添えで浅井企画へ移籍した後は女優業を再開して、確かな演技力で数々のドラマ、映画、舞台などへ出演する。その後、佐藤が独立(佐藤企画設立)する際、田中美佐子も佐藤企画に移籍した(佐藤企画第一号タレント)。佐藤が独立後も業務提携の形で萩本欽一のマネジメントをしている事もあり、田中美佐子主演舞台の演出を萩本欽一が何度も手掛けている。

1995年11月、元付き人で、お笑いコンビ・Take2として活動を始めたばかりの深沢邦之と結婚。深沢は田中より7歳年下であり、収入も田中と比べるまでもない不安定さであったが、田中は深沢の“普通”さを気に入りプロポーズをしたという。また当時35歳の田中は「年齢的にヤバかった。36歳になったら、もう(結婚)できないって気がした」と明かしており、「相手は東貴博でも良かったのだが、東が女性として見てくれなかった」とも語っている。東自身も「親分肌で怖い」と言っている。当時年収1億円を誇る田中と月収10万円と格下であり年下でもある深沢との結婚生活を危ぶむ声すらあったが、その後も良き家庭を築き上げている。

2002年12月、女児を出産。それ以降数年は育児優先のために休業していたが、2005年10月に連続ドラマ『ブラザー☆ビート』で女優復帰してからは精力的
「田中美佐子」『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』。2019年07月21日(日) 05:09UTC
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