萩原亮介(ハギワラリョウスケ) のチケット情報

公演レビュー
  • 文学座アトリエの会「いずれおとらぬトトントトン」

    昭和のオリンピックが開催される頃、山奥にある精神に変調を来した患者を受け入れる病院での決まりきった日常に、ある日元香具師だという一人の患者が入院してきた。彼がどんな症状をかかえ、何故この病院にやってきたのか不明だが、彼が扇動する形で波風を立たせる。彼の計画とおり病室の扉の閂ははずされたが、従来の患者の反応は如何に……粗忽者には、時としてアトリエ公演が難解で、咀嚼できないことが多々あるのだが、本公演は、俳優陣はそれぞれの症状をそれらしく演じてはいるものの、粗忽者には不首尾で期待外れの作品であった。

    粗忽者の早とちり
  • 文学座アトリエの会「かのような私」

    昭和23年12月23日、斉藤家に男の子が誕生した。この日は天皇誕生日であり、東条英機以下7名のA級戦犯が処刑された日でもある。平(たいら)と祖父に名付けられた男の一生を20年ごとの誕生日に、彼の身の回りの出来事をアーカイブスの映像とともに描いている。一人ひとりが千差万別に生きてきたはずのいわゆる団塊の世代を、典型的なかたちで、祖父、父と教育者一家に育ち、自らも教師を選択した市井の一人として「平」の生き様や家族観を、期待される40代の古川健や高橋正徳がどう捉えるのかが興味津々であった。親世代の価値観と民主主義の申し子の葛藤のなかから、大集団として闇雲に高度経済成長期を牽引し、バブル崩壊と、失われた20年を招いた団塊の世代の功罪についての切り込みが足らないのはなぜだろう?……団塊世代の一人として、時代の空気感はその通りだし、小道具にもそれなりの配慮がなされているのだが、年取った「平」同様に物分かりが良すぎてはいまいか?まだ来ぬ10年の描き方が平凡なのは、かのような私(団塊世代)は他の世代から見れば平平凡凡だからなのか。両親に過度に期待され、引きこもりから自分の居場所を見つけた長男学(池田倫太朗)は頼りなさそうな演技で見応えがあった。……懐かしくも物足りない戯曲である。

    粗忽者の早とちり
  • 文学座アトリエの会「青べか物語」

    千葉県浦安市にあっても、東京デズニーランドという。山本周五郎が描いた当時とは様変わりの変容を遂げた所だ。粗忽者の私にも多少の因縁のあるところで、当時は東京の東の端、交通の不便な所で、あちこちに肥溜がある半農半漁の貧しい村だった。そこに暮らす人々は現代から見れば勿論、山本周五郎にとっても不思議な人種の住む異界だったのであろう。礼儀や建て前など糞くらえの、生きるに精一杯のたくましい人々は、よそ者の先生には聞くこと見ることが驚きで物書きには格好の材料であった。芳爺の当然の厚かましさとワンフレーズを唱える元兵曹長の坂口は、私の知り合いにそっくりだ。がらっぱちで、一人よがりの高橋がいい。自殺未遂の酌婦下池もああそうだろう。カモに集る、つかもとや鈴木の女性陣の活躍が目を引いた舞台であった。台詞や衣装が当時を想像させ、思えばこれは喜劇なのだろう。

    粗忽者の早とちり
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