年末になると、なぜ「第九」?「第九」にまつわるエトセトラ年末になると、なぜ「第九」?「第九」にまつわるエトセトラ

年末の風物詩と言えば、クリスマスソングと並んで聞こえてくる「歓喜の歌」のメロディ。ベートーヴェンの「第九」(交響曲第9番「合唱付き」)は、1824年に音楽の都ウィーンで発表(初演)されて以来、人類共通の芸術と称されるほど親しまれてきた“お宝”です。聴くだけではなく、歌う方、演奏する方なども含め、これほど多くの人の人生に潤いを与えているクラシック音楽はありません。
そんな「第九」の基礎知識や豆知識、そして誰かに教えたくなるエピソードなどをご紹介します。これを知れば、さらに「第九」を深く、楽しく味わえるはず。コンサートで聴く前に予習をして、今年は一歩踏み込んでみましょう。

文:オヤマダアツシ(音楽ライター)

聴こえない耳で完成された音楽史に残る傑作

この曲がウィーンで発表(初演)されたのは1824年5月7日。当時54歳になっていたベートーヴェンでしたが、ずいぶん前から難聴に苦しんでおり、「第九」の作曲時はほとんど耳が聞こえていなかったといいますから驚きです(ベートーヴェンは耳に当てるラッパのような形の補聴器・集音器を使っていました)。初演の時にもステージには上がりましたが、指揮は他の人に任せたためにやることもなく、曲が終わってもまったく気がつきませんでした。近くにいた女性の歌手がベートーヴェンを客席のほうに振り向かせましたが、彼が見たものは熱狂的に拍手をするたくさんの聴衆でした。

「歓喜の歌」だけじゃない!

「第九」といえば第4楽章の「歓喜の歌」がシンボル……ですが、その前に演奏される第1楽章から第3楽章、そして「歓喜の歌」の後に続く第4楽章の後半も、ベートーヴェンが私たちに残した重要なメッセージだと言えるでしょう。

嵐のようにドラマティックな第1楽章、神々の豪快なダンスを思わせる第2楽章、世界の調和を音楽にしたような第3楽章(皆さん、ウトウトしちゃもったいない!)と続き、第4楽章は新しい社会への期待。第1~第3楽章までを軽く否定しつつ、「私たちの音楽はこれなのだ、さあ歌おう」と始まるのが「歓喜の歌」というわけです。その後でアツく歌われる友愛や勇気にも共感すれば、新しい年もきっといいことがあるはず!

年末の定番なのは日本だけ?

日本では「第九」といえば年末をイメージさせるものですが、国外ではどうでしょうか。もともと「年末に第九を」というアイデアが芽吹いたのは1918年のこと。第一次世界大戦が終わって平和を願う声が高まった頃にドイツのライプツィヒで始まり、その後は名門オーケストラであるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が、毎年の大晦日に「第九」を演奏し続けてきました。

日本では第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が、12月に3日連続の「第九コンサート」を行って絶賛され、年末に「第九」を演奏する習慣へと受け継がれています。恒例となった年末の「第九」には多くの聴衆が集まりましたが、まだ戦後の混乱期を脱していなかった時代ですから、オーケストラにとっては安心して新年を迎えるための臨時収入に。さらには「うたごえ運動」を背景として合唱が盛んになり、アマチュア合唱団が「第九」を歌い始めます。コンサートには合唱団員の家族や友人たちが駆けつけたためチケットが売り切れることもしばしば。こうした状況が功を奏し、年末の「第九」が完全に定着したと言われています。

日本初演は何と捕虜の収容所!

日本で最初に「第九」が演奏されたのは、徳島県の鳴門市(当時は板東町)にあったドイツ兵の俘虜(捕虜)収容所。その様子は本や映画などで紹介され、広く知られたエピソードとなりました。1918年(大正7年)6月1日のことであり、楽器や編成などは不完全ながらも全曲が演奏されたようです。ということは、2018年が記念すべき「日本初演100年」になるのですね。全曲の完全な初演が行われたのは、それから6年後の1924年(「第九」がウィーンで初演されてからちょうど100年)。11月29日、東京藝術大学の前身である東京音楽学校の先生や学生たちにより演奏されました。会場は、現在も上野公園の一角に保存されている旧奏楽堂です。

時代を超え、現代にも通じる熱きメッセージ

第4楽章でバリトン(またはバス)の歌手がすっくと立ち上がり、「おお友よ、このような音楽じゃない」と歌い出す場面は、コンサートで何度体験してもトリハダもの。「もっと喜びにあふれたメロディを歌おう!」「フロイデ!(歓喜だ!)」と続いて、あの「歓喜の歌」を歌い出します。しかし「第九」はそれで終わりじゃありません。「勝利に突き進む英雄のごとく、自らの道を行け」「抱擁と接吻を全世界に」「すべての人々は兄弟になるのだ」などなど、混迷する現代にも通じるメッセージがてんこ盛りなのです。「歓喜の歌」の歌詞を違うメロディで歌った部分もあり、コンサート前の予習として日本語訳詞をじっくりと読み込んでおくのもいいでしょう。

五輪、ベルリンの壁崩壊、そして震災への追悼…世界を繋ぐ「第九」

1998年2月、長野冬季オリンピックの開会式で、小澤征爾さんの指揮により世界五大陸を中継でつないだ「第九」が演奏されたことを覚えている方も多いでしょう。東日本大震災の後、コンサートなどが自粛された時期にも東京で犠牲者を追悼するために演奏されたのが「第九」(ズービン・メータ指揮)。日本だけではなく国外でも、歴史に残るような機会に「第九」は演奏されています。たとえば1989年12月にはベルリンの壁が崩壊した直後に、指揮者のレナード・バーンスタインが声をかけて欧米の名門オーケストラ楽員がベルリンへ集結。「フロイデ!(歓喜)」を「フライハイト!(自由)」と置き換えて歌われました。それだけ強く訴えかけるパワーが「第九」にはあるのです。

みんなが知ってるあのゴスペル曲の元ネタ?

ウーピー・ゴールドバーグの主演で大ヒットした映画『天使にラブ・ソングを』では、さまざまな賛美歌(スピリチュアル)が歌われますが、続編の『天使にラブ・ソングを2』では「第九」も歌われています。ただし曲のタイトルは「ジョイフルジョイフル(Joyful,Joyful)」。日本でも「喜びたたえよ」「みかみのあいをば」といった題名の賛美歌・聖歌として親しまれていますが、歌われる歌詞は「第九」と違い、英語で新しく書かれたもの。内容は一点の曇りもない愛と世界、そして主イエス・キリストへの賛美であり、クリスマス・シーズンにもオススメの1曲だと言えるでしょう。

作曲家の心を揺るがした「第九のジンクス」とは

ところでクラシック音楽界には「第九のジンクス」があったのをご存知でしょうか。ベートーヴェンが9曲で交響曲を終えたことに関連した都市伝説風のエピソードですが、たとえばドヴォルザークが第9番「新世界より」で生涯を終え、ブルックナーが第9番の作曲途中(第3楽章まで)を世を去るなど、「第9番を手掛けたら人生が終わるのではないか」という(わりと無責任な)言い伝えが流布したのです。マーラーなどは本気でこの噂を怖がったらしく、第8番のあとには番号なしの「大地の歌」という交響曲を発表。その後に安心して第9番を完成させたものの、第10番の作曲途中でこの世を去りました。他愛もない話ですが、実際にはもっとたくさんの交響曲を残した作曲家もたくさんおり、笑い話の域からは出ないエピソードだと言えるでしょう。ちなみにベートーヴェンは交響曲第10番に着手していましたが、残念ながら完成せずに天国へと召されています。