新国立劇場やサイトウ・キネン・フェスティバルをはじめ、オペラやコンサート、リサイタルなど多岐に活躍中の日本を代表するメゾソプラノ歌手、坂本朱。イタリア・オペラの王道から日本語の新作オペラまで幅広いレパートリーを歌いこなす彼女が、日本が誇る作曲家、武満徹のアニバーサリー・イヤーを記念して武満「SONGS」に挑む。
「Liberte リベルテ~自由」と銘打った10月のリサイタルに向けて、武満徹の楽曲から自身の歌への思いまで、熱く語ってくれた。
- ――まずは生前の武満徹さんとの関わりやエピソードがあれば教えて頂けますか?
残念ながら直接の関わりはなかったんです。でも生前の武満さんは「サイトウ・キネン・フェスティバル」によくいらしていて、小澤征爾さんとオーケストラとのリハーサルでお姿を拝見しました。
90年代頃の武満さんといえば、とにかく圧倒的な存在感。「沈黙は音楽である」と仰いながら黙って座っている様子とかもインパクトが強くて。とても前衛的な印象でした。ちょうど黛敏郎さんが『題名のない音楽会』でジョン・ケージを紹介されたのも同じ頃でしたね。とにかくいったいどんなことをやっている人なのだろうという、特別な興味をもたされる、そんな存在でしたね。
実は私が武満さんの作品に触れた最初のきっかけは、武満さんの本なんです。だから順番で言うと楽譜をみたのは後で、まず先に彼の考えや言葉に感銘を受けた。『私たちの耳は聞こえているか』というエッセイ集を、2005年頃に買って読んだのが最初でした。
――サイトウ・キネン・フェスティバルや題名のない音楽会で紹介された武満さんの曲といえば、『弦楽のためのレクイエム』『セレモニアル』など、オーケストラ作品が多いですよね。でも歌はそれと全く違ったフリーなスタイルの数々です。一般的に武満さん=現代音楽の作曲家のイメージが強いと思いますが、それとはまた違う歌の魅力とはなんですか?
また武満さんのソングスといえば、石川セリさん、小室等さんの録音が有名ですが、声楽家の坂本さんが歌うとどのようになるのでしょう?
ちょうど福田進一さん(ギター)と共演した武満さんの「SONGS」のレコーディングが終わって、これからアルバム(※1)の編集作業にはいります。今回はギターとの共演ということで、声とのバランスを考えたアプローチが必要だと念頭に考えてはいたんですが。けれども実際に始めてみると、いとも簡単に、そして自然に歌わせてもらえていることに気づきました。たとえば声楽家特有のビブラートはあまり聴こえてこないかたちになったり。ビブラートを少なめにしようとか、ここで声を張ってしまうとこうなってしまうから止めようとか、そんな思いから解放されていました。歌いだしてみたら、そういう風に、なるようになっていた、という感じです。
武満さんのうたは、ジャズ調だったり、石川セリさんのアルバムにはアップビートなものもあるし、色々な表現が可能で、歌の中にとても自由さがあるんですよ。私はこれまでも日本語のオペラ作品を色々歌わせていただいた経験もあって、クラッシックのスタイルで日本語を歌うのは辛いとかという偏見はありませんし。
福田さんから「ピアノと歌う感じと、ギターと合わせるのは違うので、考えてみてくださいね」とアドバイスを頂いたことも影響していると思います。それから勿論、曲のおかげもありますね。編曲者の皆さんのアレンジがどれも絶妙なんです。歌があって、ギターの音があって、歌が出始めると、ギターが真似して出てくるとか。オペラ誕生のころ、通奏低音に合わせてレチタティーヴォを歌っていく感じ。リュートや弦楽器に絡み合って歌う、それに近い風情。大切に織っていく様のようです。
アルバムや今度のライブを聴いてくださると、私がマーラーの交響曲第3番のソリストやヴェルディのオペラを歌っていたときの感じとは風情が異なっていることが分かっていただけるかと思います。
(※1)坂本朱(メゾソプラノ)&福田進一(ギター)
『Liberte(リベルテ) 武満徹SONGSの自由なる世界』(レーベル:コジマ録音 ALCD-7149)
――ちょうどリュートと仰っいましたが、私も武満さんの歌の作品は吟遊詩人の歌とイメージが近いなと感じるときもあるんですよ。
私、小室等さんのアルバム『武満徹ソングブック』が大好きで、実は今回のレコーディングの当日の朝にも聞いていました。ほんとに大好きなんです。それと石川セリさんのアルバムもとても参考になりましたね。こちらは武満さん自身が彼女に歌ってほしいと願って実現したコラボレートですからね。でも完成を待たずにお亡くなりになって。武満さんが石川セリさんの声や歌い方に、どんな風に惹かれたのか、興味がありますね。
福田進一さんも録音当日、70年代のジャズを聴きながら録音会場へ入られて、「気分盛り上げてきたからね。この感じ、かっこいいよね?」と音を聴かせてくれたり。アイデアをたくさんくださいました。今回、私が福田さんとぜひ共演させて頂きたいと思った理由は、どんなスタイルやジャンルであっても、それらを弾き分けるとても奇抜な才能をもっていらっしゃるからです。音色からスタイルから、その違いを見事に表現なさる方ですから、今回の武満さんのプログラムもぜひご一緒できたら、と思ったんです。
――福田進一さんは武満さんのギター作品集のアルバムも出されていますよね。
私も2枚とも聴きました。福田さんのコンサートでCDを持って並んでサインしてもらったの。私の宝物です。
Q.それでは今回のプログラムについて、具体的な聴き所、楽曲の魅力についてなども教えて頂けますか?
10月のコンサートでは全曲21曲歌います。CDではすべて福田さんのギターとの共演です。総勢11名の作曲家によってギター伴奏に編曲されたのです。コンサートはピアニストの多田聡子さんも参加してくださるので、ギター、ピアノ、ギター&ピアノをうまくミックスしたいと考えているところです。
CDでは録音ならではの、音色の遊びが出来たのですが、大きい空間でのライブでは伝わりにくいかなと思う部分もあります。
それと、せっかく素晴らしいアーティストおふたりが共演してくださるので、ぜひ三人一緒に演奏したいですし、ライブの大きな空間にあう、表現の仕方にしたいですよね。
あとコンサートでは他の編曲者もいま検討中なのですが「えっ!?」という方が出てくると思います。これは本番までお楽しみ。
例えば「雪」という曲なんですが。これはたかの舞俐さんが編曲して下さいました。福田さん曰く“超難曲”になりまして。アルバムを作る際、必ずどこかに福田さんのギターの聴きどころを入れたいとリクエストしていたんですが、この曲は見事にそうなりました。福田さんは最後の最後まで「難しい難しい」と仰っていましたが、最高な出来栄えになりましたから。まさにギタリスト福田進一の真骨頂を聴いていただける曲です。
武満氏による伴奏譜はほとんど残っていません。東京混声合唱団のために武満さんが四声の合唱用に編曲したものはありますが、そこでは武満さんのハーモニーの世界を確認できます。そういった武満さんの楽曲の世界観がきちんと聴けるものにしようと、福田さんと一緒に取り組みました。
あとはギターと歌だとこうなっちゃうの!という面白いものも。今回のギターとの演奏はどちらかといえば内向的な作り方も可能で、ギターの一弦のシンプルな音で、私が語るように歌いだす感じ。逆にピアノとは、楽器とホールの空間をうまく活かして、ダイナミックな表現もできるアレンジにしようかなと。
――アルバムとライブで曲のキャラクターを色々変えるんですね。武満さんの楽曲の色々な面が聴けそうで楽しみです。武満さんの作品は、歌い手の方の表現の仕方で、悲しかったり楽しかったりと多彩に聞こえますよね。
私の中では、21曲中、悲しくてお涙頂戴の表現はひとつもありません。武満さんは戦争の話を含めて、色々な世界的な問題に対して、多くの言葉を残しています。そのなかに彼自身の厳しい視点からの問題提示はあるけども、どれひとつとして悲観的ではない、そう私は読みとりました。
例えば「死んだ男を残したものは」の歌詞は、谷川俊太郎氏の有名な詩です。「死んだ男は妻と子供を残した。墓は残さなかった。死んだ女は着物一枚残さなかった。」という感じで悲しいですよね。でも、ただ真実を伝えている感じがする。そして最後には「死んだ歴史の残したものは輝く今日の私とあなた」で締め括られるんですが、全部希望ですよね。そこには願いがあります。武満さん自身が、希望の「希」と書いて「ねがい」と表現もしています。私はこの「希い(ねがい)」を表現したいのです。
また「さようなら」という曲も同様で、「さようなら。私はあなたの心の中にわたしの部屋を探しています」という感じの歌詞なのですが、最初は別れ話のような悲しい歌にも聞こえるかもしれません。「さようなら」という言葉を「あなたを忘れません」「あなたをずっと想っています」「あなたを愛しています」という風に置き換えて、自分の心のなかにあなたを入れてしまう。自分の魂のなかに、あなたの全て、あなたの想い出、あなた自身を入れてしまう。ということは「さようなら」なんだけど悲しくない。それを言っている女性は幸せな気持ちでいるはず。福田さんが「こんなに簡単に別れてくれるんだったら良いよねぇ・・。」と、つぶやいていらっしゃいましたが。
また先ほどの「雪」という曲は、フランス語の曲ですが、「白い雪よ。いつまで降るの。いつまで経ってもこの風景は変わらない」という感じで、一見失恋の歌のようにも聴こえる。雪には寒いとか、白いとか、冷たいというイメージがありますけど、この曲ではそれと逆の心を持った女性が歌っていると思うんです。つまり、愛する心、情熱、熱く流れる血潮のようなもの。泣き声をCDに入れているものもありますね。受け方はそれぞれ。私のヒントとしては、ヨーロッパの女性はすすり泣きなんてしない、大声を上げて泣くか、罵声を浴びせかけるか、どっちか(笑)。
レコーディングで編曲のたかのさんにこの話をしたときに凄く共感してくれました。今回のアルバムの携わってくれた編曲者の中で唯一の女性です。それで福田さんは「雪女の歌」と茶化していらした。ギターの音が吹雪のように舞うんですよ。黒い空にとにかく白い雪が降りしきるイメージかな。
今回どれひとつとして演歌調のような湿ったアプローチはしていませんし、実際出来なかった。それは武満さんが常に持っていらした視線の方向性のおかげと感じています。
――武満さんはお涙頂戴の演歌は嫌いだったそうですよね。例えば「死んだ男の残したものは」は、1965年のベトナムの平和を願う市民の集会のために作られた曲ですが、「反戦歌のメッセージソングのように気張って歌わず、『愛染かつら』のような気持ちで歌って欲しい」という手紙を添えたというエピソードも残っています。
ご自身も戦争を経験なさっているが故に、もっと高い次元を見ていたのかもしれません。
あと武満さんの歌の作品といえば、忘れてはいけないのが谷川俊太郎さんの詩。谷川さんは自作の詩の朗読もなさいますね。あの朗読、大好きなんです。すーーっと、からだに染み込むように伝わってくるんですね。
谷川さんの詩、谷川さんが武満さんについて語ったもの、また武満さんご自身が書かれたものを読むうちに、それらが自然と私の一部になってきているように感じます。
これまでもコンサートで「涙そうそう」「見上げてごらん夜の星を」「マイウェイ」「翼をください」など日本語の曲をアンコールなどで歌うのが私の歓びでした。それが武満さんの歌の作品へと私の中で繋がっていきました。そして今回。本当に自分の身体のどこにも無理なく、まるで呼吸そのもののように、歌うことが出来ました。私も「自由」なんです。言葉のメッセージ、色々な方々が手がけてくれた編曲なども全てが「自由」。例えば「死んだ男の残したものは」、年配の方には記憶を通じて共感して聞いてくださる、若い世代の人たちは反戦へのメッセージ、明るい未来へのビジョンになるかもしれません。また、子どもたちがクスっと笑いながら聞いてもらえる曲もあります。武満さんの作品の力、奥深さですね。
――聞き手の人にも自由があるんですね。
「自由=リベルテ」は私にとっても大きなテーマです。ひとは、自由について、愛について、死についてとか、考えるのが好きだし、時として考えざるを得ない、人生のなかでね。歌を聴いている時ぐらい、自由に想いを馳せていただければ、うれしいです。
私は1989年にイタリアのミラノに留学しました。その時は、日本だけにいてはイタリア語の歌をきちんと歌うことはできないのではと、若いなりに感じたからです。とにかくオリジナルの場所に行って、生きている言語を知りたいと思ったんです。
例えばアリアは下手でもレチタティーヴォは上手なイタリア人はいっぱいいるとか。ロッシーニの曲はイタリア語で早口で喋るように歌えば、おのずとリズムが合ってくる。生きているリズム。人から湧き出るリズムですよね。私も勉強して、イタリア語の歌に自分なりの感情をのせることができるようになりました。
そして、ある時ふと思ったんです。日本人の私がなぜ日本語の歌を歌わないのか。日本人のお客さんが待ってくれているのだから、これは歌わなければならない。そう体感したんです。「伝える」ということは表現者としての使命ですが、それには「伝わる」手段をみつけないといけない。武満さんの力をお借りすれば、それが出来ると感じるんです。
歌手としての私自身を考えたときに、めぐり会えた武満さんの作品。とてもシンプルな、優しい言葉でつづられた歌の数々ですが、かならず、今を生きる皆さんに伝わる歌です。ずっと歌っていきたいと思っています。
取材・文:吉原学(チケットぴあ)
武満徹 生誕80年メモリアルコンサート
坂本朱 メゾソプラノ Liberte リベルテ~自由
10月14日(木) 19時開演 東京文化会館 小ホール
[出演]坂本朱(メゾソプラノ)
福田進一(ギター)
多田聡子(ピアノ)
●武満 徹 SONGより
翼
小さな部屋で
死んだ男の残したものは
恋のかくれんぼ
素晴らしい悪女
明日ハ晴レカナ、曇リカナ
MI・YO・TA
…他