――今年4月、事務所を独立し、「Kamome Music」を設立されたそうですが、それ以前と心境の変化はありますか。
「独立してみると、自由ですけど、同じ量だけ責任も抱えなきゃいけないので大変ですけどね。ただ真正面から手応えがあります。一言で言うなら、おもしれぇ~。そんな毎日です。この頃は、ミュージシャンやスタッフのみんなと、ああでもない、こうでもないと言いながら、1つのステージを作ることがすごく楽しいですね。それはアマチュアの頃の、音楽を始めた頃の、楽しさなんですよ」
――渡辺さんほどのキャリアがあっても、今日のコンサートは納得できた、今日は納得できないと、終演後に一喜一憂するものですか。
「ライブ中に、たとえば自分が歌詞を間違えたり、誰かが演奏を間違えたりするとしますよね。でも、ステージの上は、いわば修羅場ですから。そこでひっかかると、次も、また次もとドミノ倒しみたいにミスが重なって、ボロボロになってしまうものです。だから、たとえ間違えたとしてもチマチマ考えない。スパッと斬る。ミスを悔やむより、ミスを帳消しにして、おつりがくるくらいのライブをやらなきゃと、自分に拍車をかけます。それはライブのみならず人生にも言えることじゃないですか。何かアクシデントが起きたとき、それでメゲてしまうか、それを踏み台にするか。私だって1度はドンと落ち込みますよ。ただ、私の場合、3時間から半日。午前中、鉛玉を抱えてる気分でも、夕方にはすっかり回復してます」
――アーティスト渡辺真知子の根源は、その素晴らしい声だと思いますが、ご自分でご自分の声をどう捉えていますか。
「子供の頃、素晴らしく可愛らしかった子でも、中学生や高校生になると、そうでもないなってことあるじゃないですか。その逆もあるし。学生時代まったく目立たなかった子が30歳になって再会したらまぶしいくらい綺麗になっていたり。そういう顔と声って似ています。中学生の頃、電話に出たら、母と間違われたんです。ということは、おそろしく老けた声だったんですよ。でも、自分の人生が半世紀を越えた頃、両親を立て続けに亡くし、事務所を独立し、本当の意味で自立し、自由になり、自分らしい自分になり、今やっと自分の声に似合う自分になれたんじゃないのかな。やっと自分の声に自分が追いついた。もう10年以上、<完璧に勝る未完成>という言葉が私の中にあります。どこかでミスもするけど、ミスしないから素晴らしいとは限らない。それよりも胸に残る、心に伝わるコンサートをしたいと思っています。そのためにはこの声が何より心強い味方です」
――『迷い道』『かもめが翔んだ日』『唇よ、熱く君を語れ』など、多くのヒット曲がありますが、時代と共に歌い方も変わるものですか。
「本家のオケを聴くと、無意識のうちにオリジナルに忠実な歌になりますね。たとえば『かもめが翔んだ日』の場合、スペイン語で歌ってみたり、3拍子で歌ってみたりもしましたけど、一回りして元の鞘に収まったってかんじです。ヒット曲に限らず、デビュー20周年を越えたあたり、年齢で言うと40歳を越えた頃からは、我みたいなものはすべて出尽くしたので、もう自分のためだけに歌うなんてことはありません。自分のためにはできないことも、誰かのためならできるってあるじゃないですか。歌でもそういうことがありますね。落ち込んでいる人がいるなら、もっとやさしく、もっと包み込むように歌うとか。年齢を重ねるに連れ、そのとき見せてくれる笑顔が自分の喜びに、少しずつなってきました」