チケットのことならチケットぴあチケットぴあ

こんにちは、ゲストさん。会員登録はこちら

http://image.pia.jp/images2/static/pia/interview/sports/top_name_kiyomiya-yoshida.png

改修工事のために、現在の国立競技場でラグビー早明戦が行われるのは、最後となる。そこで、主将、そして監督として早明戦の舞台に立った清宮克幸と吉田義人の初の対談を敢行。あるときはライバルとして、あるときは同志として、ラグビー界の花道を歩んで来たふたりが、おおいに早明戦について語り合った。



早稲田にどうすれば勝てるかと常に考えていた

吉田義人氏

――大学入学前、早明戦に対してどんな印象を持たれていたか、教えてください。

清宮: ラグビー選手にとって最高峰の舞台。早稲田、明治の2チームに入らないと、そこに立つ権利がない。高校を卒業して“赤黒”のジャージを着てプレーすることが決まった時点で、「自分が国立に立つんだ」と妄想しました。少年を妄想にかき立てるような、素晴らしい舞台です。

吉田: 僕は秋田で小学校からラグビーを始め、毎年早明戦を楽しみにしていました。満員の国立競技場で大学生たちが一心不乱にボールを追いかけている姿をテレビで見て、「カッコいいな、あの舞台で俺も走ってみたいな」という思いを抱きました。

清宮: 赤黒を着てな。

吉田: 清宮キャプテンのもとでやりたかったですね(笑)。清宮先輩とこういう形で対談させてもらうのは今回が初めてですよね。

清宮: 選手時代には接点があまりなかったからな。

吉田: そうなんです。

清宮: 互いに早稲田、明治で監督をした時期もかぶっていないし。

吉田: 清宮さんの5年目の早稲田と、僕の4年目の明治を対戦させてみたかったですね。

――おふたりは早稲田、明治それぞれの中心選手でしたが、お互いにどう見ていましたか。

清宮: 吉田は天才ですよ。吉田は、タックルに入って、こちらが「決まった」という感覚のところから弾いていった。吉田と試合をして、何回かそう感じたことがあるな。そういうことをできる数少ない日本人の選手。

吉田: 僕は関東代表に選ばれたとき、ナンバーエイトだった清宮先輩と一緒にプレーさせてもらい、男として惚れました。眼光が鋭くて、目の奥底に秘めた思いがあって。ものすごく頭の回転が速くて、先を読んでプレーできる印象が強かった。しかも、冷静ですしね。清宮先輩がキャプテンの頃の早稲田は本当に強くて、大学選手権で優勝しています。一方、明治は1回戦で敗退。清宮さんの血が残っている早稲田を堀越正己が受け継いで、今泉清、郷田正、藤掛三男という錚々たるスター軍団の早稲田をどうやって倒そうかと、その年キャプテンを務めた4年生のときは特にやりがいのある時間を過ごさせてもらいました。

清宮: 俺がキャプテンをしたのは20年以上前のことだから、記憶も曖昧だけど、「キープ・ザ・ボール」というラグビーをしようとした。それが完成する前に、優勝できたんだけど。次の年も続けたら、ものすごく強くなると俺たち卒業生は思っていたよ。でも、やらなかった。要は、「昔に戻ろう」となった。だから、吉田が4年のときに戦った早稲田は、俺がつくったチームとは違う、昔の早稲田のスタイル。

吉田: そうだったんですね。

清宮: でも、早稲田のスタイルは年によって変わっていく。そのとき、そのときいろんな工夫をしていくのが早稲田の伝統で、ほかのチームがやらない戦術をいつも最初にやる。それが早稲田のアイデンティティ。

吉田: 実は当時、早稲田のラグビーもモデルにさせてもらっていたんですよ。体が小さかったので、大きい選手に勝つためには大西鐵之介先生の提唱した「接近、展開、連続」という理論が絶対に必要だと思っていました。そこに北島忠治監督の哲学である「前へ」をどうやって融合させて、明治大学としてチームづくりをしていけばいいかと考えていました。僕がキャプテンになった頃の早稲田は大学ラグビーの最高峰。どうすれば勝てるかと常に考えていましたね。

早明戦は刺し違えてもいいというくらいの気分

清宮克幸氏

吉田: 僕としては、明治に入ったからには日本一になって、北島監督に恩返ししたいと思っていました。そのためには早稲田を倒すしかない。だから、とにかく練習するしかなかった。みんな、下手くそだったんですよ。確かに、高校ジャパンがそろって入学してくるけど、どんな選手でも日々の鍛錬を怠ったらレベルが下がっていきます。

清宮: いろいろ改革したんだろう。

吉田: グラウンドで勝てる戦闘集団になるために、合宿所のルールも変えました。私生活から訓練していかないと、試合でも自律できないですよね。自律を促さなければと、伝統を変えました。

清宮: 早稲田では試合前日にジャージ授与の儀式があり、寄せ書きをするから。まずは試合に出る選手が書き、残ったスペースに出られない選手がメッセージを書いていく。試合に出る選手がそれを見るのは、ゲーム前のロッカールーム。泣かせるような言葉が並んでいるわけよ。選手が泣くのは当たり前で、高揚してグラウンドに出て行く。昔で言うなら、戦争に行く人間のメンタル。刺し違えてもいいというくらいの気分。ちなみに明治は試合前、トンカツとステーキを食べるんだよな?

吉田: はい。「敵に勝つ」ですから。

清宮: 戦地に赴いた監督は、寄せ書きをすると人間がどういう精神になるのかわかっていたんだろう。ところが、伝統は変わるんだよな。俺はそうした青春時代を送って、2001年、監督として早稲田のグラウンドに戻ってきた。試合前に寄せ書きの準備をさせると、A1の紙を4枚持ってきたのよ。理由を聞くと、「いまは学年ごとに寄せ書きをします」って。「1枚の紙に全員が書くから、思いが伝わるんじゃないか」ってところから話さなくちゃならなくて。それでも、早明戦は早明戦。早稲田も明治も優勝から遠ざかっていようが、あの舞台は特別。早稲田と明治はそういう舞台を持っている大学なので、他のチームに羨ましがられる。

――2005年の早明戦、早稲田が40-3で勝利した後、清宮さんは「明治、しっかりせぇ」と言われました。

清宮: 早明戦には、できる限りの努力をして臨んできて欲しい。でも、当時の明治はそうではないような感じがした。そんな早明戦では、寂しいよな。

吉田: 後輩たちに誇りと自信をつけさせて、社会に送り出してあげたかった。監督就任会見の第一声、「明治の矜持を取り戻しにきた」と言ったのは、人を育てなければと思っていたからです。

――最後に、今年の早明戦に臨む選手にメッセージをお願いします。

清宮: 早明戦は、故郷へのメッセージになるでしょ。いま、ラグビーの試合がNHKで全国に中継される機会はなかなかないから。試合に出れば、出身高校がバーンと画面に出るじゃない。あれを見た地元の人たちが、「ドコドコの息子のナントカくん、頑張っているんだね」って思うわけよ。あるいは、進学先を考えている中学生が見て、「地元のあの高校に行けば、自分もこんな大舞台に立てるんだ」と思う。そういうメッセージ的なものが、我々の頃はものすごく濃かった。

吉田: 全国のラグビーファンだけでなく、たまたまチャンネルをまわして、ラグビーを知らない人が見るかもしれませんしね。早稲田と明治には、そういう特別な舞台が用意されているんですよね。

清宮: 周りの大人ができるのは、とにかく早明戦を盛り上げること。

吉田: 歴史ある国立競技場で行う試合は最後かもしれませんけど、明治と早稲田の戦いはこれからも続いていきます。学生たちには4年間の思いをすべてぶつけて、清々しい、さわやかで、初々しい、魂の入ったプレーで表現してもらいたいですね。そうすることで、早稲田と明治の戦いの魅力が各所に波及していくと思います。

(対談の完全版は試合当日会場販売される早明戦記念プログラムにて掲載)


構成:宮崎俊哉
取材・文:中島大輔
撮影:スエイシナオヨシ

チケットぴあインタビュー「清宮克幸」「吉田義人」の対談ページです。感想、意気込み、決意、メッセージなど2人のトークをお届けしています。

INFORMATION

関東大学対抗戦
早稲田大学vs明治大学

[日程・会場]
12月1日(日) 14:00 国立競技場

チケット情報

PROFILE

清宮克幸(きよみやかつゆき)

1967年、大阪府生まれ。茨田高→早稲田大→サントリー。早稲田大監督、サントリーサンゴリアス監督を経て、現在はヤマハ発動機ジュビロ監督。大学2年時に日本選手権優勝、4年で主将となり全国大学選手権優勝。早稲田大監督時代、5年連続対抗戦全勝優勝、大学選手権3度制覇。サントリー監督でもトップリーグ優勝を果たす。

吉田義人(よしだよしひと)

1969年、秋田県生まれ。秋田工業高→明治大→伊勢丹→フランス・USコロミエ→三洋電機→サニックス。19歳で日本代表デビュー。世界選抜にも選出された。日本代表キャップ30。引退後、指導者として横河電機をトップリーグ昇格に導き、明治大監督4年目に14年ぶりの対抗戦優勝を果たす。7人制ラグビー普及のため、2013年「サムライセブンLLP」設立、代表を務める。