チケットのことならチケットぴあチケットぴあ

こんにちは、ゲストさん。会員登録はこちら

チケットぴあインタビュー

望月重良

望月重良
北京五輪最終予選の初戦でベトナムに1-0と苦戦したU-22日本代表。続く、アウェイでのサウジアラビア戦、ホームでのカタール戦に不安を残す形となったが、元日本代表の望月重良は「日本は悲観的になるようなチームではない」と言い切った。現役時代、高い技術を誇ったMFに、日本が北京五輪に出場するためには何が必要なのか聞いた。

──まず、U-22日本代表が1-0で辛勝した、北京五輪最終予選のベトナム戦をどう見ましたか。

「本来の日本の力が十分出せていないし、個々の良さっていうものはあまり出ていなかったような感じがしました。初戦で絶対負けられないし、ホームゲーム。あまりリスクを冒さないで、セーフティーに行った感じがしますね」

──物足りなさはあったものの、そんなに悲観する内容ではなかったですよね。

「勝つことが大前提だったわけだから、最低ラインはクリアしたと思う。とりあえず出だしとしては良いかなって思いますね」


——9月8日(土)にサウジアラビアとのアウェイ戦の後、12日(水)はホームでカタールを迎えます。ここが正念場ですよね。

「日本は良い選手も揃っているし、サウジやカタールとか強い相手だったら、それなりのサッカーをやると思う。日本は悲観的になるようなチーム力ではない。サッカーには独特の力関係があるんです。力で劣るチームとのゲームだと、相手に合わせてしまったり、強いチーム相手だったらそれに見合った力が出るという。ベトナム戦で快勝できなかったから、サウジ戦はどうなる、カタール戦は大丈夫かと悲観的な考えはしなくていいと思います」

——最終予選でカギを握る選手は誰だと思いますか。

「僕は水野(晃樹)選手だと思います。彼はA代表でも試合に出ているし、イマジネーションがあり、ドンドン前に行ってチャレンジする。個人的にすごい好きなプレーヤーです(笑)。彼が新人だった時、ジェフ(千葉)で一緒にプレーしたんですが、当時に比べると、すごいレベルが上がってます。水野選手は自信を持ってプレーしている。これから経験を積んで行けば、ドンドン良くなりますよ」

——水野選手はリスクを恐れずにチャレンジしますよね。

「ベトナム戦もそうだったんですけど、安全なところにパスを出してばかりだと悪いリズムになる時もあるんです。水野選手はドンドン相手に向って行く。リスクを背負って攻めることができる選手だから、彼がいることでチームに勢いが出るような感じがしますね」

——右の水野選手が良かった分、サイドバックということもありましたが、本田(圭佑)選手の左サイドが……。

「左サイドがちょっと寂しかった感じはしますね。本田選手自身が、サイドバックだったから、上がっていいのかなぁ〜と手探りなように見えた。ベトナムは前半引いていて、しかも1トップだったので、彼はもっと攻めても良かったと思います。本田選手はいいものを持っていますし、平山(相太)選手という格好のターゲットがいるのだから、センタリングをドンドン上げに行って欲しかったですね。左サイドバックだと、彼の持ち味が少し消えてしまうような感じがします」

——水野選手以外にキーマンを挙げると、誰でしょう?

「やっぱり、平山選手ですね。彼が点を獲ればチームは乗るだろうし。逆に言えば彼が点を獲らないと、このチームは乗らないような雰囲気があります」

——平山選手はベトナム戦ではことごとく決定機で外しまくりましたが……。

「いや、いい形まで持って行っていることが良いと思います。あとは集中力とか最後の精度の部分の問題だと思いますし、全然問題ないでしょう。いい形まで行くこと、過程が大事ですから」

——それでは、最後にズバリ聞きます。日本は北京五輪に行けますでしょうか?

「行って欲しいですね(笑)。これは逃げではないですよ。オシム監督も言ってますが、アジアの戦いだからって、簡単に勝てる相手はいないんですよ。アジアカップもそうだったじゃないですか。3連覇だとマスコミもファンも勝手に決め付けていた。やっぱり、戦っている選手が一番しんどいし、彼らはギリギリのところで戦っているわけですから。軽々しく、行けるとか行けないとか言えないですね。勝負は本当にやってみないとわからない。だから、頑張って欲しいし、僕も必死に応援します。ですから、ファンの方も一緒に戦って欲しいですね」


取材・構成:碧山緒里摩(ぴあ編集部) 撮影:岡本寿

望月重良

望月重良

望月重良

望月重良

プロフィール

1973年、静岡県生まれ。清水商業高、筑波大を経て、'96年、名古屋グランパスエイト入り。1年目から主力として活躍し、'00年8月に京都パープルサンガに移籍。その後、'01年にヴィッセル神戸、'03年にジェフ市原(現・ジェフ千葉)、同年8月にベガルタ仙台、'04年に再びジェフ、'05年9月に横浜FCと渡り歩く。'00年にはアジアカップ決勝戦で決勝ゴールを決めた。'07年1月、現役引退を発表。引退までの数年間、大腿骨頭壊死症に苦しんでいた。J1通算198試合18得点、国際Aマッチ14試合1得点。現在はスポーツ紙やテレビで解説を行っているほか、指導者としても活動している。