――「柳家三三で北村薫。」という公演に関わる面白さ、どんなところにありますか?
「何度もスタッフ会議を重ねて上演台本を作っていくのですが、脚本の西森英行さんをはじめ、スタッフそれぞれの意見を通じて、原作の構造の分析や、新しい解釈がたくさん出てきます。原作は何回も読んでいたんですが、改めて「そういうことか!」と思うことが多い。同時に「弱ったなあ」とも感じたり(笑)」
――なぜ弱るんでしょう(笑)?
「原作に対して、より重い責任を感じるから(笑)。演者としては、カットした部分も含めて、この物語すべての意味合いを、自分のお腹の中でわかっておく必要がある。こういう公演をやる機会があったからこそ、それらすべてに気づくわけで、幸せだと思いますね」
――昨年の初演で取り上げた第1短編集「空飛ぶ馬」と、今回の第2短編集「夜の蝉」。違いは?
「今回の方が長いです(笑)。登場人物がより多彩になり、要素が多くなっている。上演時間の関係から、原作を泣く泣くカットしなければならないのですが、その分量も、昨年の「空飛ぶ馬」「砂糖合戦」より多くせざるを得ない。これは、全方向に対して前もってゴメンナサイと言っておきたいです(笑)。北村薫先生と、読者のみなさんと、出版社のみなさん。あと、カットの作業を進めなければいけない脚本の西森さんにも」
――内容は?
「短編3つから成立している短編集ですが、ただ素敵な世界とばかりは言っていられない作品ばかり。きれいごとでは済まされない部分があります。短編集「空飛ぶ馬」が長調の交響曲なら、こちらは短調の交響曲でしょうか。華やかでなく、ほの暗い入口からするすると引き込まれてしまうような。扱っている謎自体が、人間の気持ちの暗部でもある。この作品のすべてに色濃く描かれている季節感や、主人公の<私>を中心とした女子大生3人の親密なやり取りなどで、いろいろな色彩を重ねていくつもりです」
――春桜亭円紫さんの人物設定と、柳家三三さんご自身、ほぼ同じじゃないですか?
「背格好も似てる。年齢も40前。落語家。確かにほぼ同じですよね。それにしちゃ円紫さんの方が大人だな(笑)。わが身を省みて落ち込んでます。円紫さんには真打になる弟子までいるんだし」
――原作者の北村薫さんも、三三さんが演じるのを喜んでいるのでは?
「確かめて来てくださいよ。もし喜んでいなかったら、教えてくれなくていいです(笑)。冗談はともかく、上演を認めてくださっただけで光栄。お話しするたびに、なんて素敵な方なんだろうと思っています」
――春桜亭円紫さん、どういう人物ですか?
「博覧強記。いろいろなことに通じている人。知識にのみ走る人はいくらでもいるけど、円紫さんは知識だけじゃなくて、人間味にもあふれている。想像力が豊か。周りがよく見えている人」
――落語家としての円紫さんはどうでしょう。
「ひとつひとつの噺に対する、明確で、謙虚な態度の持ち主ですね。それは、どんな噺家にとっても必要な態度です。例えば噺のサゲを変えるときも、自我を表現するために変えるのではなくて、噺の魅力を引き出すために変えている。おのれを誇示するのではなく、噺の魅力を伝えんがための努力を怠らない人です」
――円紫さんと<私>の対話シーンは聴かせどころです。
「<私>と円紫さんの会話は、一番ニュートラル、一番フラット、無理なく会話できるトーンを心がけています。このふたりのトーンが基調となって、他の登場人物たちの会話トーンが決まってくる。基本線は、<私>と円紫さんがいかに自然にしゃべるか、ということ。ふたりの会話は、お客さんも楽しいはずだし、演じているこっちとしても楽しい。円紫さんが落語について話すところなど、円紫さんの口を借りながら、こっちの本音を伝えている気がするくらい。円紫さんが謎を解き、<私>がそれを聴いている。円紫さんは、<私>が謎の解明に気がつけるよう、導いている。ぼく自身も、円紫さんを演じながら、お客さんを導いている。お客さんを、すうっと、解決に向けてエスコートしてあげている。円紫さんがいい感じで演じられると、こちらも気持ちいいんですよ」