中村美律子(ナカムラミツコ) のチケット情報

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中村 美律子(なかむら みつこ、本名:中村 美津子、1950年7月31日 - )は、大阪府東大阪市出身の演歌歌手・女優である。ヒット曲に「河内おとこ節」「島田のブンブン」「瞼の母」「人生桜」「だんじり」などがある。

来歴・生い立ち
両親は東大阪市の銭湯に住み込みで働き、父親はボイラー技士、母親は脱衣場で子供の世話や掃除をしていた。3つ上の姉・2つ下の妹・4つ下の弟・9つ下の妹を合わせた7人家族で銭湯裏の6畳一間に暮らしていた。幼少期はラジオから流れる歌謡曲や浪曲を聞き、風呂場で歌っていた。その歌声は夏祭りののど自慢大会で一等賞になるほどで、父親の自慢でもあった。

一家は貧しく、家計を支えるために小学2年生のときから姉と近鉄瓢箪山駅の前に机を置いて新聞販売、4年生からは新聞配達を200軒近く配っていた。働きづめの母親は栄養失調で倒れ、中村が中学2年のときには半身不随で話せなくなっていた。結局、母親は1ヶ月ほど寝込んだあと、43歳の若さで他界した。母親の死により家族は離散。姉は中学卒業後に住み込みで働きに出た。弟妹たちは京都に住む父方の叔母の家に預けられた。美律子は近所の河内音頭と歌好きな人物に預けられ、歌謡教室や高校に通わせてもらう。

興國商業高校在学中に初音家賢次門下となる。河内音頭の音頭取り(歌い手)・初音家みつ子の名で河内音頭の櫓に立ち、一晩で数か所のかけ持ちをする「天才音頭少女」として評判になる。プロダクションに所属するが、デビューまでの下積みとして台湾で1ヶ月の契約で興行にいき、帰国後メジャーデビューのはずが、3ヶ月帰国できず、騙されたと気づく。その後、小松みつ子の芸名で1975年にテイチクから自主製作盤を発売。

三十路を過ぎたころ、一念発起して浪曲師・春野百合子に師事する。自主活動の歌謡ショーで作曲家・富田梓仁に出会い、1986年に「恋の肥後つばき/夜の千日前」でワーナーパイオニアよりメジャーデビュー。1988年に東芝EMIに移籍、2枚目のシングル「女のみれん/待つだけの季節」を発売する。スナックなどでのキャンペーンを続けたが、なかなか世に出られなかった。

1988年に3枚目のシングル「河内おとこ節」を発売する。1991年ごろから東大阪市や八尾市にはじまって口コミが広まり、2社ある有線放送の上位にランクインして注目を集めた。

その後は『演歌一夜
「中村美律子」『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』。2025年06月29日(日) 12:43UTC
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