大平サブロー(タイヘイサブロー) のチケット情報

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大平 サブロー(たいへい サブロー、1956年〈昭和31年〉2月24日 - )は、日本のお笑いタレント。

大阪府大阪市生まれ、守口市育ち。豊中市在住。吉本興業大阪本部所属。旧芸名は太平 サブロー(読み同じ)。本名は芦田 秀嗣(あしだ しゅうじ)。

大阪市立此花工業高等学校(後に大阪市立此花総合高等学校と改名し閉校)卒業。

血液型はO型。2人兄弟の長男。若手芸人からは「サブロー師匠」、トミーズやハイヒールからは「サブロー兄さん(略してサブ兄)」、やしきたかじん、明石家さんま、島田紳助などからは「サブやん」と呼ばれている。

来歴
デビュー - コンビ解消
高校卒業後役者をしていた時期もあったが漫才トリオ・レツゴー三匹に師事し、1976年に大平シローとともに「太平サブロー・シロー」のコンビ名で松竹芸能所属の漫才コンビとしてデビュー。

しかし、厳しいシローのツッコミに耐え切れずコンビを一時解消。サブローは鳳キング・ポーカーのポーカーと「チンカラホイ」を結成もすぐに解消し失踪、ラーメン屋を経営。シローは浮世亭ジョージと「ジョージ・シロー」というコンビを組んで凌いだ。

コンビ復活後、毎日放送の「ヤングおー!おー!」出たさに吉本興業への移籍を希望するが、吉本と松竹との協定で芸人の引き抜きは禁止されていたため、どうしようと悩んでいる所に師匠のレツゴー三匹から破門される。実は2人の移籍したい気持ちを知っていたレツゴー三匹がスムーズに吉本に行けるように破門する芝居をしていた(そのためレツゴー三匹が全員死去するまで師匠・弟子としての関係は続いた)。1年後に吉本入り。

その後、1980年代の漫才ブームの波に乗り、人気漫才コンビとしての地位を確立した。

1988年4月、吉本から独立して東京の芸能プロダクションに所属。年収は2000万円と悪くなかったが、吉本興業が太平サブロー・シローの仕事の中心を大阪での漫才としていたため、それに逆らって本格的に東京へ進出することを望んでの独立だった。独立した当初、『笑っていいとも!』出演時には「吉本ザマミロ!」などと相当毒づいていた。その後レギュラー番組を3本降ろされて、5か月後には完全に仕事を失い干された状態に陥る。これは、慰留した吉本の役員や芸人の説得を振り切って(サブローが「辞めて独立します」と幹部に言った時に、幹部から「そこまで独立し
「大平サブロー」『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』。2024年12月28日(土) 18:15UTC
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