日向薫(ヒュウガカオル) のチケット情報

日向薫のチケットを買ったことがある人はこれもチェックしています こちらのチケットもおすすめ
日向 薫(ひゅうが かおる、1957年4月30日 - )は、日本の女優である。「日向薫」『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』。2025年04月16日(水) 14:14UTC
本名、白根 陽子(しらね ようこ)。もと宝塚歌劇団星組のトップスターだった。
東京都港区六本木出身。劇団ひまわり所属。出身校東洋英和女学院高等部から宝塚音楽学校へ入学。公称身長175センチ。血液型B型。
宝塚歌劇団時代の愛称はネッシー(姓から「ネシラ」とよばれていたが、先輩や同期に大柄な体をもじってネッシーのほうが定着したと日向はいう)。
来歴・人物
実家は旧華族(旧勲功男爵家)という家柄で家族に両親と姉がひとりいた(宝塚時代本人談話より)。東洋英和高等部卒業をまたず長身を生かせるからと宝塚音楽学校を受験し合格。
1976年、62期生として宝塚歌劇団に入団。『ベルサイユのばらIII』で初舞台。同期生に朱穂芽美(音花ゆり・相武紗季の母)、夏美よう、飛鳥裕、伊吹あい達がいる。入団時の成績は48人中18位。
1977年5月17日 には月組に配属となっていたが後の1979年3月に星組に組替。
峰さを理トップ時代は2期下の紫苑ゆうとともに二番手の男役スターとして人気を集めた。
1987年12月、峰の退団に伴い星組トップスターに就任。翌1988年、『炎のボレロ/Too Hot!』がお披露目となった。相手役は1988年は南風まい(同年年末退団)、1989年から1992年は毬藻えりがつとめた。
1992年3月31日、『紫禁城の落日』東京宝塚劇場公演千秋楽を最後に毬藻らとともに退団。
退団後は女優業のほか、外国旅行のプロデュースなど多方面で活動している。
宝塚歌劇団時代の主な舞台
初舞台・月組時代
*『ベルサイユのばらIII』(1976年4月)(初舞台)
** 『わが愛しのマリアンヌ』、『ボーイ・ミーツ・ガール』(1977年9月30日 - 11月8日)(宝塚大劇場)
**
*『隼別王子の反乱』(1978年9月)(新人公演) - 隼人(本役:条はるき)
星組時代
*『恋の冒険者たち』(1980年4月)(新人公演) - オーシーノー(本役:峰さを理)
*『虹の橋』(1980年6月)(バウホール公演) - テルムート伯爵
*『響け!わが歌』(1980年8月)(新人公演) - 小四郎(本役:瀬戸内美八)
*『アトナール』(1980年10月)(バウホール公演) - プーラルド
*『小さな花が
公式サイト
アイコン説明
-
- ぴあカード決済による当選確率UP
-
- 行きたい公演をアラート登録(発売情報やリセール申込情報など購入チャンスをお知らせ)
-
- お気に入り登録
-
- プレリザーブ、プリセール等
-
- プレミアム会員限定
-
- 座席選択可能
-
- 動画配信専用サイト
「PIA LIVE STREAM」
での販売
日向薫 のチケット予約・購入・再販売はチケットぴあで!
ページ上部へ