井上順(イノウエジュン) のチケット情報

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井上 順(いのうえ じゅん、本名同じ、1947年〈昭和22年〉2月21日 - )は、日本のタレント、歌手、俳優、コメディアン。東京都渋谷区生まれ・在住。一時は井上 順之(いのうえ じゅんじ)の芸名も使用していた。身長171cm。血液型はAB型。

来歴
東京都渋谷区の代々木公園前で馬場を営む家の3人兄弟の末子として生まれ、麻布龍土町で育った。祖父は日本で初めて競走馬を輸入した人物で、富ヶ谷で「井上馬場」を経営していた。父親は馬場専属の獣医師である。父の影響もあり、幼少期は獣医に憧れていた。渋谷区立大和田小学校、渋谷区立松濤中学校卒業。中学校の卒業集合写真は、ジャズ喫茶に入り浸りたびたび学校をサボっていたため、一同が並ぶ写真の左上で欠席枠に入っている。

1961年(昭和36年)、13歳で、峰岸徹、大原麗子、田辺靖雄、ジェリー藤尾らがいた「六本木野獣会」へ加入し、峰岸にはデビュー前から飲食や遊びなどにしばしば誘われ、峰岸が亡くなるまで弟のような存在だった。

成城学園高等学校在学中に野獣会の仲間とバンド「野獣会オール・スターズ」を組み、銀座や新宿のアシベ、上野のテネシーや池袋のドラムなどで演奏活動をしているときに田邊昭知が率いるザ・スパイダースから「新しい形のスパイダースを作りたい」と声をかけられ、1963年(昭和38年) 成城学園高等学校在学中の16歳のとき加入。加入後はグループ・サウンズ時代の最年少メンバーとして、ツインボーカルを堺正章と、パーカッションは「サイドタンバリン」などと自らネタにしつつ、コンサートMCは堺と共に、それぞれ担当した。後年にフジテレビの『夜のヒットスタジオ』などで見せる軽妙なトークと気さくな性格はこの時期に研鑽され、現在の芸風の基盤を作り上げた。

1970年(昭和45年)、スパイダースが解散した後に「井上順之」と芸名を改めるが、痔を患ったことから「『じ』は良くない」と1973年に「順」へ戻した。

1971年(昭和46年)、24歳のときに『昨日・今日・明日』でソロ歌手としてデビューした。歌手を本業としながら俳優や司会もこなして「ジャーニー!」「ピース!」など数々の流行語を生み出し、シングルも発売し続けた。『ラブラブショー』の共演をきっかけに、資生堂の人気モデル青木エミと大恋愛の末に結婚するが、1982年(昭和57年)夏に離婚して以後、独
「井上順」『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』。2025年06月30日(月) 14:31UTC
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