藤波辰爾(フジナミタツミ) のチケット情報

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藤波 辰爾(ふじなみ たつみ、本名: 藤波 辰巳、1953年12月28日 - )は、日本の男性プロレスラー。YouTuber。大分県東国東郡武蔵町(のちの国東市)出身。ニックネームは「ドラゴン」。血液型O型。プロレス活動はドラディション、芸能活動はカートプロモーション所属。長男は藤波怜於南。「藤波辰爾」『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』。2025年03月11日(火) 01:51UTC
第77代NWA世界ヘビー級王者。日本人2人目のWWE殿堂入りレスラー。海外武者修行時のリングネームは、アメリカではドクター・フジナミ、メキシコではドクトル・フヒナミおよびリング・フヒナミとしていた。
来歴
デビューまで
1953年12月28日、大分県国東郡に生まれる。中学時代は陸上競技を行っていた。この頃にアントニオ猪木に憧れ、プロレスラーを目指す。
中学卒業後、地元の自動車整備工場に就職したが、プロレスへの夢を断ち切れず、1970年に別府温泉へ湯治に来ていた同郷である日本プロレス所属のプロレスラー北沢幹之に直談判し、北沢から同年6月16日に日本プロレスの興行が行われる下関市体育館(山口県下関市)へ行くように言われ、猪木と初対面。そのまま巡業について行った後に、日本プロレス幹部と面談を行うために上京して日本プロレスに入門。憧れていた猪木の弟子となる。入門同期には佐藤昭雄、キラー・カーンなどがいる。
北沢幹之のはからいにより猪木の付き人となり1971年5月9日にデビュー。デビュー戦の相手は北沢が務めた。当時の猪木が「いつでもどこでも俺のことを見ている」と言うほど猪木につきっきりであり、猪木は妻の倍賞美津子より藤波の方が自分のことを分かってくれていると評していた。
中学時代は家に帰ると夕食前に汁かけご飯をどんぶり3杯食べる大食漢であったが、プロレス入りした途端緊張と威圧感で食事が喉を通らなくなるなど苦難を経験した。
新日本プロレス旗揚げ、海外修行
アントニオ猪木が日本プロレスを除名された翌日の1971年12月14日、木戸修と共に日本プロレスを退団し、夜逃げ同然で日本プロレス事務所の近くの猪木後援会事務所に身を寄せる。日本プロレスによる猪木除名会見の当日、藤波は記者席の後部におり、翌日の新聞で記者席の後部にいた藤波の姿が掲載され、それを見た猪木が藤波を誘ったという。
1972年、猪木が興した新日本プロレスに旗揚げより参加。3月6日に大田区体育館で行われた旗揚げ戦では第1
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