トリノ王立歌劇場(トリノオウリツカゲキジョウ, TEATRO REGIO TORINO) のチケット情報

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トリノ王立歌劇場
(c)田中克佳
トリノ・レージョ劇場((省略))は、イタリア・トリノにある歌劇場である。開場は1740年、ただし今日の劇場施設は同敷地にあるものの、1973年の再建である。

歴史
劇場創建
レージョ劇場は18世紀、サルデーニャ王国の中心都市として繁栄しはじめたトリノ市街中心部の新しい劇場として、建築家ベネデット・アルフィエリの設計によって1730年建設が開始され、最終的には席数2,500の典型的な馬蹄形オペラ劇場として完成した。杮落としは1740年12月26日、ナポリの作曲家フランチェスコ・フェオの『アルサーチェ』(Arsace)であった。

没落とそこからの復興
その後約40年間は北イタリアで最高の歌劇場との評判を謳歌していたレージョ劇場だったが、1778年にライヴァル都市ミラノにスカラ座が、1792年にはヴェネツィアにフェニーチェ劇場がそれぞれ開場して、19世紀に入った頃にはその地位ははっきりと低下していた。トリノの街自体はリソルジメントによって統一イタリア王国の首都になった(1861年)が、これも僅か4年でフィレンツェにその座を奪われたため、劇場のテコ入れには至らなかった。

こうした中、1865年に実力派指揮者のカルロ・ペドロッティが音楽監督に就任した。彼はその後15年間にわたって全ての演目の指揮をとり、ヴェルディのオペラの高水準の上演で評価を回復し、またワーグナー作品を積極的に紹介していった。

その後、1895年-98年および1905年-06年にかけてはアルトゥーロ・トスカニーニが音楽監督となり、レージョ劇場はイタリアで最高とまではいえないまでも、トップクラスの歌劇場としての評価は回復した。この時代に同劇場で初演された主なオペラとしてはアルフレード・カタラーニの『ローレライ』(1890年)、ジャコモ・プッチーニの『マノン・レスコー』(1893年)および同『ラ・ボエーム』(1896年)がある。1901年-05年は大改装を行うため閉場したが、再開を飾る作品としてリヒャルト・シュトラウス『サロメ』のイタリア初演を、作曲者自身の指揮によって行っている(1905年)。

再び凋落、そして火災
その後はヴィットリオ・グイなどの名指揮者が監督を歴任し、リヒャルト・シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』やモーリス・ラヴェル『スペインの時計』のイタリア初演など、いくつかの重要な公演を成
「レージョ劇場_(トリノ)」『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』。2023年06月10日(土) 20:43UTC
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