――2009年の初演はまさに渾身の舞台でした。またあのゴッホに出会えることが嬉しいです。
「ありがとうございます。この三好十郎先生の『ゴッホ』は、僕が30歳の時に滝沢修さん主演の舞台をテレビ放送で観て、知ったんですよ。ゴッホがとうとうとしつこくしゃべる場面がとくに気に入ってね。役者も絵描きも、あれくらいしつこくなければできないんだ。そんなことを感じて面白い芝居だな!と思いました。後にユージン・オニールの『氷屋来たる』で演出の栗山民也さんとご一緒した時に、栗山さんが三好先生の『浮標』を演出されたという話も聞いていたので「次は『炎の人』をやってみたいんだ」という話をしましてね。だからこれは僕自身から持ちかけた舞台だったんです。」
――言葉の美しさ、力強さに打ちのめされるような感覚がありました。
「そう!ゴッホという西洋人の物語を、日本人の三好先生が書かれた。そこには美しい言葉がいっぱいあるんですよ。「黒の中にはすべての色がある」とか。三好先生が魂を削って書かれたセリフを吐く。僕はそれを誇りに感じていますね。」
――「ゴッホが憑依した」とまで評された演技はどのように生まれたのか、人間ゴッホにどう肉迫していったのかが気になります。
「役作りに関しては栗山さんと一緒に非常に細かく積み上げていきました。そこに本当にゴッホがいるんじゃないか…というほどになれたのは、自分の中で演技という部分を捨て去ることができたからじゃないかと。演技じゃない演技、というのでしょうか。つまり余計なことを考えないということだと思います。「この言葉を聞かせよう」とか、そういう役者としての生理は捨て去る。目の前にいるのは益岡徹さんじゃなくてゴーガンだし、ゴーガンの言うことに対して深く傷ついたフリではなく、本当に傷つかなくちゃいけない。だから肉体的にはしんどかったです。」
――舞台ではなく、その世界に生きる、といったことでしょうか。
「そう。僕は幸せなことにいろんな役で再演をさせてもらっているのですが、どの役も、再演を繰り返すごとにその人間そのものになっていたいなと思うんですね。役なのか、役者なのか、わからないところに入っていきたい。そこに入るきっかけを気づかせてくれたのが、この『炎の人』のゴッホのような気がするんですよ。初演の時、三好十郎さんのお嬢さんに「父が観たかったのはこのゴッホなんです」と言っていただいた。あれは嬉しかったですね!」
――今度の再演でも、さらにゴッホの魂の奥深くに入りこむことになりそうですね。
「うん、今回も申し訳ないけど(笑)お客さんのことは無視してやります。お客さんにセリフが聞こえようが聞こえまいが関係ないと思ってやったのは、初演の時が初めてだったんですよ。さっきも言ったように「このセリフを立てよう」とか考えていないですからね。だから今回も、賞を取った作品だとか、お客さんが入っていようがいまいが、特には関係ないです。僕にとってそこにいるのは貧しい労働者であり、ゴーガンであり、弟のテオであり…っていうふうにしか見えないんですよ。また栗山さんと新たに細かく積み上げていくことで、初演とは違うゴッホが生まれるでしょう。こんな面白い芝居はないんじゃないか!いいねー市村って俳優は!まさしくゴッホだね!……って自分で言っちゃいますけど(笑)、ご覧になる方がそう思われるくらいのものにしたいし、必ずそうなりますよ!」
▼「炎の人」
11月4日(金) ~ 13日(日) 天王洲 銀河劇場(東京都)
□発売中