Janne Da Arc(ジャンヌダルク) のチケット情報

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Janne Da Arc(ジャンヌダルク)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。1996年結成。所属芸能事務所はアップライズ・プロダクト。かつての所属レコード会社はエイベックス・エンタテインメントで、所属レーベルはavex trax内のmotorod。略称は「ジャンヌ」「JDA」。かつての公式ファンクラブは「〜マドモアゼルなあなた達〜」。2019年解散。

メンバー
(省略)

バンドの歩み
大阪府枚方市で結成。前身は同じ中学校にいたyasu、ka-yu、youの3人と他2人の同級生で結成された「結膜炎」というバンド。その後ka-yuが脱退、バンド名も「インターセクション」に改めた(「インターセクション」の由来はX JAPAN(当時はX)のXがクロスしているので「交差点」を英語にしたことから)。その後は「オキャンティーズ」と再び改名。ka-yu以外のメンバーが枚方西高校に進学、高校2年生頃にkiyoが加入。高校3年生頃にバンド名が「Janne Da Arc」になる。高校卒業後に当時のベーシストが脱退、結膜炎時代はギターだったka-yuがベースとして再加入する。1996年にはドラマーが脱退、同じ高校出身で元より親交のあったshujiに加入を依頼し、受け入れた。

1996年5月9日、現在のメンバーでの活動を開始。地元のライブハウスである枚方BLOW DOWNを拠点に活動していた。インディーズ時代には、X JAPANを意識したかのような派手なメイクをしていた。これは、Janne Da Arcの前身バンドの「結膜炎」がX JAPANのコピーバンドであったからという説があるが、yasu自身のインタビューによると、「バンドの恰好をヴィジュアル系っぽくすれば、ライブハウスの動員が増える」という魂胆と、もともとDEAD ENDの音楽性に大きく影響を受けていたことが理由である。youとkiyoはメイクをすることに抵抗感を持っていたため、yasuやka-yuと比べると比較的薄めのメイクで活動していたが、メジャーデビューの頃にはむしろ一番メイクにこだわるようになっていた。shujiはメイクに抵抗は無かったが、かといって好きではなかったと語っている。

1998年2月22日に初のワンマンライブ。4月に初のミニアルバム、『Dearly』をリリース。その一年後の1999年2月22日には赤坂B
「Janne_Da_Arc」『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』。2025年05月21日(水) 05:51UTC
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