村上“ポンタ”秀一(ムラカミポンタシュウイチ) のチケット情報


村上“ポンタ”秀一のチケットを買ったことがある人はこれもチェックしています こちらのチケットもおすすめ
村上 “ポンタ” 秀一(むらかみ ぽんた しゅういち、1951年1月1日 - 2021年3月9日)は、日本のドラム奏者。兵庫県西宮市出身。今津中学校、市立西宮高校を経て、大阪教育大学中退。血液型O型。愛称はポンタさん。別名、ポンタ村上。「村上秀一」『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』。2025年05月10日(土) 03:49UTC
ジャズ、ロック、J-POP、歌謡曲などジャンルを問わず、国内外でセッションドラマー/スタジオ・ミュージシャンとして活動。
人物・来歴
中学時代に所属していた吹奏楽部に度々指導に来ていた指揮者の朝比奈隆にティンパニを勧められ、打楽器奏者の道を歩む。
「赤い鳥」の大村憲司の音楽性に惹かれ、1972年、21歳の時にこのバンドのドラマーのオーディションに挑戦して合格、プロデビューするとともに上京した。
この「赤い鳥」のオーデションについて、村上がNHKのトーク番組『トップランナー』で語ったところによると、オーディションは岐阜の市民会館で行われ、28人の志望者が集まり、村上の前までの7人がドラムを叩いた時にはバンドメンバーは無反応な顔つきで審査していたが、8人目の村上がドラム演奏したところバンドメンバーの顔色が変わり、「はい、皆さん、これで決まりだから気をつけて帰って下さい」と、その後に控えていた20人の志望者には演奏させず帰させた。このオーディションの際にドラム演奏させられた曲は「レット・イット・ビー」(ビートルズ)、「翼をください」(赤い鳥)他3曲だった。また、このオーディションは村上がドラムのスティックを握り始めて4日目のことだったという。
赤い鳥脱退後すぐに、エントランス(村上、大村、山村隆男(後に高水健司)を結成。赤い鳥時代に知り合った五輪真弓のバックバンドを始める。
エントランス解散後、本格的にスタジオ・ミュージシャンとして活動を始め、アニメソングから歌謡曲、演歌まで幅広いジャンルの曲のレコーディングに参加。1975年頃にバンブーに参加し、同年後半にはカミーノを結成するなどセッションミュージシャンとしても活動した。
スタジオ・ミュージシャンとして活動した初期はレコード等のクレジットはメインとなる歌手の他は「レコード会社名+”楽団”」等と演奏者の名前は載らず一括りにされていたが、村上らが「俺達は名前も載らず使い捨てか?」とプロデューサー等に直談判した結果、以降はレコーディングに参加したメンバーの名前が記載されるようにな
アイコン説明
-
- ぴあカード決済による当選確率UP
-
- 行きたい公演をアラート登録(発売情報やリセール申込情報など購入チャンスをお知らせ)
-
- お気に入り登録
-
- プレリザーブ、プリセール等
-
- プレミアム会員限定
-
- 座席選択可能
-
- 動画配信専用サイト
「PIA LIVE STREAM」
での販売
村上“ポンタ”秀一 のチケット予約・購入・再販売はチケットぴあで!
ページ上部へ