久米宏(クメヒロシ) のチケット情報

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久米 宏(くめ ひろし、1944年〈昭和19年〉7月14日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ラジオパーソナリティ、ニュースキャスター。ドイツ親善大使も務める。オフィス・トゥー・ワン所属。

来歴
生い立ち
国鉄と東芝に勤務していたエンジニアを父に、両親が疎開していた埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)で誕生。姉3人の下の末っ子。戦時中は同児玉郡に疎開。戦後は、東京都品川区北品川で幼少時代を過ごす。

なお、父親は仕事で留守がちだったため、姉のスカートを縫い直した半ズボンを履いて「女の館に育った」と自身語っており、幼少時から女性の性(さが)を知っていた環境が、久米の感性に影響を与えたことは間違いないという。

学生時代の活動
品川区立城南第二小学校、東京都立大学附属高等学校(現東京都立桜修館中等教育学校)、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。大学では、演劇サークル「劇団木霊」に所属し演劇に熱中。

就職活動でアナウンサー職を志した動機について後に人から尋ねられると、本人は「学生時代、演劇活動に明け暮れ、成績が悪く、一流企業の推薦が取れなかったから」と面白おかしく語っているが、高倍率を勝ち抜き、合格、採用となった。

久米が入社した年のアナウンサー最終試験は試験官の前に、1台の赤電話が置かれ「赤電話を題材にして、自由にしゃべって下さい。」という課題だった。他の志望者は「さぁ、いま私の目の前に赤電話が置かれております。」「ここから一体、どのような人間ドラマが始まるのでしょうか?」という実況型だったが、久米は赤電話を前に暫し、黙考。10円玉を取り出し、その場で、実家に電話をかけた。電話に出た母親と「もしもし母さん? 今、TBSで入社試験を受けているんだけど……」と会話をし、そのまま終了した。

職務経歴
TBSのアナウンサー職(1967年 - 1979年)
大学卒業後の1967年4月、TBS(現:TBSHD。以下同)にアナウンサー12期生として入社。入社直後、激務と極度のあがり症から体調を崩し、結核を患った。同年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴い、同室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる。

1970年4月、『パックインミュージック』金曜パーソナリティに抜擢されるが、病気により5週で降板。1970年5月、この月からスタートした『永六輔の土曜ワイ
「久米宏」『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』。2025年08月22日(金) 17:17UTC
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