© Joan Marcus
20世紀最高の歌手のひとりとして、今も世界中に多くのファンをもつフランク・シナトラ。 彼の大ヒット曲「Fly Me to the Moon」「My Way」「Newyork Newyork」のほか、 新たに発見された未発表の音源を含め30曲以上で綴るミュージカル『カム・フライ・アウェイ』が、いよいよ日本に上陸する。
シナトラの歌声とビッグバンドによる生演奏をバックに、ナイトクラブで踊り明かす4組のカップルを描くこのミュージカル。 音楽評論家・作詞家であり、米国の音楽を長年日本に紹介してきた湯川れい子氏は、その最大の魅力を“シナトラの楽曲”にあると語る。
「シナトラの歌声は甘く、弾むようなスイング感とリズム感がありました。 映画『錨を上げて』('45年)や『踊る大紐育』('49年)などで見られる若き日のシナトラは、 小さな三角型の顔の中にいたずらっ子のような目がクルクルと輝いて、なんともチャーミング。 彼はまさに、エルヴィス・プレスリーやマイケル・ジャクソンが登場する以前の記録破りのスターであり、同時に元祖アイドルでもあったんです」(湯川氏)
1915年にイタリア系アメリカ人の家庭に生まれたシナトラは、第二次大戦下の兵役検査で鼓膜異常のために不合格となる。 代わりに歌手としての活動をスタートさせた彼は、その歌声でたちまち女性たちの人気者となった。
「そんなシナトラの歌と曲を用いて注目のトワイラ・サープがダイナミックなミュージカルに構成したと聞けば、これはどうあっても見なければ!と(笑)」(湯川氏)
本作の構成・振付・演出は、『ムーヴィン・アウト』('03年)でのトニー賞最優秀振付賞受賞も記憶に新しいトワイラ・サープ。 セリフは用いず、トップクラスのダンサー14人によってステージが展開する。
「60年代のアメリカ滞在中に観た航空会社のCMで、『COME FLY AWAY!!』と呼びかけるシナトラの姿は今も鮮やかに覚えていますね」という湯川氏。マリリン・モンローやエヴァ・ガードナーら女優たちとの恋愛遍歴にケネディ大統領やマフィアたちとの交友関係など、シナトラの存在は古き良きロマンに溢れるアメリカそのもの。その歌声が届ける素晴らしい世界を、ぜひこの作品で味わってほしい。
(文:佐藤さくら)
(音楽評論/作詞)
© Greg Gorman
サープ初のブロードウェイ作品は、1980年「When We Were Very Young」、 続く1981年には「The CatherineWheel」でデイヴィッド・バーンとのコラボレーションを行った。 1985年「雨に唄えば」は高く評価され、その後広くナショナル・ツアーを行った。 2002年にはビリー・ジョエルの楽曲にのせて創られたダンス・ミュージカル「Movin' Out」がロングランを達成。 本作でサープは2003年のトニー賞最優秀振付賞を受賞し、その他、多くの賞に輝く。 また2006年には、ボブ・ディランの楽曲にのせて創った「The Times They AreA-Changin’」を手がけ、好評を博した。
【主な映画(振付等を担当)】
ミロス・フォアマン監督1978年「ヘアー」、1980年「ラグタイム」、1984年「アマデウス」テイラー・ ハックフォード監督1985年「White Nights 白夜」、ジェームス・ブルックス監督1994年「ハリウッド・トラブル」
【主なテレビ番組】
◆PBS局「Dance in America」第1話のための「Sue’s Leg」振付
◆「Making Television Dance」共同プロデュースおよび演出、シカゴ国際映画際賞受賞
◆BBCテレビジョン「The Catherine Wheel」演出
◆「Baryshnikov by Tharp」演出エミー賞2部門、全米監督協会賞最優秀演出功労賞受賞
トワイラ・サープはこれまで、シナトラの楽曲を使用した作品を複数発表しています。
◆1976年デュエット作品「Once More Franck」アメリカンダンス・シアター
(トワイラ・サープ、ミハイル・バリシニコフ出演)
◆1982年14人のダンサーのための作品「Nine Sinatra Songs」トワイラ・サープ・ダンス
◆1984年「Sinatra Suite」アメリカン・ダンス・シアター
(エレイン・クドウ、ミハイル・バリシニコフ出演)
※シナトラは、ケネディ・センター栄誉賞を受賞する際、
「Sinatra Suite」の上演を要請しています。サープの輝かしいキャリアの中でも長きに渡りにテーマとされてきた“シナトラ”。
カム・フライ・アウェイは彼女自身の原点回帰であり、最高傑作と言える作品です。
ニュージャージー州ホーボーケン生まれ。1939年、ハリー・ジェイムスのバンドにボーカリストとして採用され、 その後トミー・ドージー楽団に入団、後にソロ活動を開始する。
1942年、シナトラはNYタイムズ・スクエアのパラマウント・シアターにて、 歴史に残る出演を果たす。この公演の看板アーティストはベニー・グッドマンであった。 翌年映画デビューを飾ったシナトラは、その後50本以上もの映画に主演し、「地上より永遠に (原題:From Here to Eternity)」ではアカデミー助演男優賞を、「The House I Live In」 では反人種差別の短篇映画に対するオスカー特別賞それぞれ受賞している。
1943年-1952年の間にコロムビア・レコードに所属、数々のヒット曲を生み出し、 1953年-1961年に所属したキャピトル・レコードでは、17枚以上ものアルバムのレコーディング を行った。キャピトル時代のシナトラは、「コンセプト・アルバム」というジャンルを開拓し、 「Come Fly With Me」「Only The Lonely」「In The Wee Small Hours」などのアルバムは名作 と評されている。
1960年、フランク・シナトラは自身のレコード会社、リプリーズを設立。彼はここ「Strangers In The Night」「My Way」「New York, New York」など、後にスタンダードナンバーとなる ヒット曲のレコーディングをする。
1998年5月14日、永眠。
フランク・シナトラは20世紀に最も人気があったエンターテイナーと称された。 また慈善家としても精力的に活動し、その生涯のうちに世界中の慈善団体に10億ドル以上もの寄付を行った。 没後なお、シナトラの遺した功績は衰えることなく、更に大きな名声となって羽ばたいている。
© Frank Sinatra Enterprises
© Joan Marcus
※演奏曲目、曲順などは変更になる可能性があります。