——御社のスポーツとの関わりについてお話しいただけますか。
「1953年から放送しているプロ野球中継をはじめ、力道山の頃から放送しているプロレスなどスポーツ中継の歴史は長く、日本テレビにとってスポーツはシンボリックなものであると思います。他のテレビ局よりもいち早くスポーツ中継を手掛け、民放ではスポーツ分野に関して、歴史においても技術においてもNo.1であるという自負があります。“スポーツの日テレ”というプライドを持って、質の高いスポーツ中継をお届けできるように、日々努力しています」
——サッカーについてはいかがでしょうか。
「日本テレビでは、少年サッカー、高校サッカーを支援していますし、ご存じのようにJリーグでは読売クラブといい関係が続いてます。メディアとしては唯一、東京ヴェルディ1969をスポンサードさせていただいています。Jリーグの試合中継はもちろん、日本代表戦、特に『キリンカップ』は前身である『ジャパンカップ』の頃から20数年にわたって中継していますし『トヨタカップ』の中継は四半世紀も続いています。全てのカテゴリーを支援し、日本サッカーの発展を微力ではありますが、バックアップできているのではないかと思います」
——“地球一”のクラブチームを決める『トヨタカップ』と、ある意味正反対にある高校サッカーを、長年にわたって平行して支援されてこられましたが、何か特別な想いがおありになるのでしょうか。
「『トヨタカップ』は1981年に始まりましたが、当時はまだ南米のチャンピオンクラブやヨーロッパのチャンピオンクラブであっても、よほどのサッカーファンでない限りは、あまり知られていませんでした。ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)なんて言われても、誰も知りませんでしたからね。でも、『トヨタカップ』を世界最高峰の大会に育てるんだという気持ちでトヨタ、JFA、電通、そして日本テレビがスクラムを組んでスタートしたんです。しかも、私の大先輩である坂田信久(元日本テレビプロデューサー、元東京ヴェルディ1969元社長)の“感動はライブでしか伝わらない”という信念から、完全生中継でお送りしました。私は坂田の最後の孫弟子のようなものですが、そうした先人たちのサッカーに対する思いは伝えていかなければならないと思っています。彼らが私たち託したスポーツ中継への想いは、変わらないし変わってはいけない。情熱でものを造るときには、視聴率がとれるとか、売れるということは二の次なんですよ。そういった核になる情熱を引き継いでいくことが、日テレの伝統になっていくはずですから。“100 年前の『トヨタカップ』はね……”なんてなったら、素晴らしいじゃないですか」
——高校サッカーを中継されるようになったきっかけは?
「先程お話しした坂田、彼は箱根駅伝の中継を始めた男なんですが、当時大阪で行われていた高校サッカーを東京に持ってきて、国立競技場で決勝戦を開催したんです。まさに夢の舞台。今も決勝戦は超満員になりますからね。子供たちはあの試合をテレビで見て“いつかは俺も”と憧れ、サッカーに熱中する。最近では高校サッカーではなく、ユース出身のJリーガーも増えてきましたが、圧倒的多数は高校サッカー出身ですよ。小野(伸二)選手のように、憧れていながら出場できなかった選手もいますし。Jリーグを底上げするにあたっては、ユースも大事で高校サッカーと両輪でなくてはならないと思いますが、高校サッカーが果してきた役割は大きい。この選手は将来Jリーグのどこに入るんだろうかとか、試合を見ていても楽しみですしね。ヒデ(中田英寿)や俊輔(中村)のように、高校サッカーで活躍して、Jリーグを経て世界に羽ばたき、日の丸を背負って戦う。目指すものがしっかりしているからわかりやすいし、見守っていられる。そんな楽しみも持ってもらえるように、高校サッカーをこれからも放送していきたいですね」
——サッカーについては、どのようなイメージをお持ちですか。
「第1回トヨタカップのとき、先人たちは“サッカーは世界の共通語”というキャッチフレーズを付けました。そこまで言うかと思われるかもしれませんが、サッカーは全世界、6大陸で行われている。ボール1個あればできるスポーツなんです。サッカーがあれば、言葉が話せなくてもふれあえるし、さらに言えばサッカーは戦争をなくす力を持ったスポーツではないかと思います」
——日本テレビならではのサッカー中継といいますと?
「今でこそ試合中には出来る限りCMを入れず、ハーフタイムにCMをまとめて流すのが当たり前になっていますが、実はこのスタイルを作ったのは日本テレビなんです。昔はサッカーの生中継なんてあまりなかったんですが、『トヨタカップ』だけは生中継でした。ところが、第8回大会のときCM中にゴールが入ってしまった。スポーツ中継にとっては、得点シーンを伝えるというのが最大の使命ですから、『これはまずい!』ということで試合前、ハーフタイム、試合後にCMをまとめて流す今日のスタイルが確立されたわけです」
——サッカー中継において、他局との違いは?
「かっこよく言わせてもらえば、哲学を持って中継しているということです。どんな映像でも撮って流していれば、絵にはなっている。ただ、ピッチ、ベンチ、スタンドではいろんなことが起きているわけで、そのなかの何を送るのがベストチョイスなのか。サッカー中継の場合、最大18台のテレビカメラが入っていますからね。答えなんてありませんが、我々は明確な意志を持って伝えています。そして、そのためにプロデューサーとディレクター、アナウンサー、カメラマンが悩みながらもしっかりミーティングをして、価値観を磨きあげています」
——スタッフの方がサッカーの勉強をされているわけですね。
「まず、プロデュサーである私が日本テレビのサッカー中継はこうあるべきだという方針をたてるわけですが、ディレクターたちにはとにかく時間がある限りスタジアムに足を運んで、サッカーの試合を観ろと言っています。そこに北澤豪さんや武田修宏さんがいれば、一緒に観戦させていただいてプロの観点を勉強させていただいています。サポーターの視点に立って観ることも大切でしょう。その一方で、お茶の間でテレビを観るときは、どんな中継であれば、より試合の臨場感・感動が伝わるも理解していかなくてはなりません。サッカー中継を支える職人としての誇りを持って、我々はそれを長い年月かけて培ってききました」
——2006年、日本テレビのサッカー中継のテーマは?
「今年は『FIFAワールドカップTM』もあり、『TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ ジャパン2006』も開催されるので、サッカーの醍醐味を伝えるには最高の年。全体会議で話し合ったのは、“小細工をせず、王道をやろう!”ということです。マグロのトロの部分は、おいしいところを下手に煮たり焼いたりせず、切れ味鋭い包丁で切っただけで出すのが一番おいしい。おいしいものをそのまま伝えるというのが一番良かったりするんですが、それは簡単なようで一番難しい。でも、今年はぜひそれに挑戦したいと思います」
——試合の中継や番組制作以外で、サッカーに関してなさってきたことは?
「一番は、大会のプロモーションに力を入れてきたことです。以前は中継さえしていればいいという考えでしたが、5年ぐらい前から大きく変わりました。特に『トヨタカップ』については大会を育て、とにかく多くの方に観てもらいたいということでやってきました。明石家さんまさん、上戸彩さん、上村愛子選手、それに王貞治監督にもご協力いただいて『地球一クラブ』を発足させました。これらの活動を通して集客につながっても、テレビにダイレクトなメリットはありません。しかし、サッカー発展の一翼を担えればという気持ちで、さまざまな取り組みに励んできました。大会後、川淵三郎キャプテンから感謝状をいただいたときは嬉しかったですね」
——最後に日本代表、あるいは日本サッカー界にメッセージをお願いします。
「川淵さんがチェアマンとしてJリーグ発足時に掲げた“百年構想”。凄いことですよね。土を耕して、種を植えて、しっかりとした根を張らせ、育てる。このことは理念だけでなく、現場でしっかり実践していたたいと思います。Jリーグはますます盛り上がってきていますが、全ての試合、スタジアムが満員というわけではないですよね。でも、例えばドイツのブンデスリーガとかは、下位チーム同志の試合でも4万人の観客が集まる。サッカーが生活に完全に密着しているんです。日本にも、そのような日が一日も早く来るように、これからもご助力していけたらと思っています。日本テレビはマスメディアの一媒体として、サッカーと正面から向き合いながらその過程を撮り続け、一人でも多くの人に伝えていきます。いつの日か、サッカーを生活に根付いた文化として誇れるように、これからもみんなで力を合わせていきましょう」
取材・構成/宮崎俊哉(CREW) |